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アルブレヒト4世 (バイエルン公) : ミニ英和和英辞書
アルブレヒト4世 (バイエルン公)[あるぶれひと4せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

アルブレヒト4世 (バイエルン公) : ウィキペディア日本語版
アルブレヒト4世 (バイエルン公)[あるぶれひと4せい]

アルブレヒト4世(Albrecht IV., 1447年12月15日 - 1508年3月18日)は、15世紀上バイエルン=ミュンヘンアルブレヒト3世の5男。ヨハン4世ジギスムントの弟。狡猾公(der Weise)の渾名を持つ。
聖職者になる予定だったが、長兄のヨハン4世が急死したため、次兄のジギスムントと共同統治することになった。1467年にジギスムントが公の座を降りてダッハウに居住したので、アルブレヒト4世の単独統治となった。ジギスムントは1501年に死去、ダッハウも返還された。
1486年レーゲンスブルクを占領し、1487年神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の娘クニグンデと勝手に結婚した。激怒したフリードリヒ3世と対立するも、義兄のローマ王マクシミリアン1世の仲介で和睦した。チロル領主ジークムントとの紛争も解決、以後マクシミリアン1世に仕えた。
1503年、遠縁の下バイエルン=ランツフート公ゲオルクが死去、婿のループレヒトプファルツ選帝侯フィリップの3男)が相続人に指名されたことに反発し、ランツフート継承戦争を起こした。マクシミリアン1世の加勢も得てアルブレヒト4世はこの戦争に勝利し、ゲオルクの遺領の大半を獲得してバイエルンを統一した(残りはループレヒトの子でゲオルクの外孫オットー・ハインリヒプファルツ=ノイブルク公として継承)。
以後のバイエルンの分裂を防ぐため、1506年に分割相続を禁止した布告を発布した。1508年のアルブレヒト4世の死後、長男のヴィルヘルム4世が相続したが、1516年に次男のルートヴィヒ10世も相続権を主張して兄に共同統治を認めさせた。1545年のルートヴィヒ10世の死によってバイエルンは再統一され、以後長子単独相続として続いていく。
==子女==

*ジドーニエ(1488年 - 1505年)
*ジビュレ(1489年 - 1519年) - プファルツ選帝侯ルートヴィヒ5世
*ザビーナ(1492年 - 1564年) - ヴュルテンベルク公ウルリヒ
*ヴィルヘルム4世(1493年 - 1550年) - バイエルン公
*ルートヴィヒ10世(1495年 - 1545年) - バイエルン公
*ズザンナ(1499年 - 1500年)
*エルンスト(1500年 - 1560年) - ザルツブルク大司教
*ズザンナ(1502年 - 1543年) - ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯カジミールの妃。後にプファルツ選帝侯オットー・ハインリヒと再婚。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルブレヒト4世 (バイエルン公)」の詳細全文を読む




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